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ニュースを見ていてなんだかもやもや感が払えず、FBにも何度か投稿させてもらいました。
一度しっかりと自分の意見をブログにまとめようと思いまして書いてみました。
このブログ二年以上ずっと放置してた割には未だにマンスリーで500位はユニークユーザーがいてくれるみたい。
ありがたいことです。今後も気が向いた時に書いていきますね。

個人的には今回の事象を通して日本社会が抱える根本的な問題が浮き出てきたような気がします。
それは日本におけるこの問題の根本はだいたいのところ家族の問題に帰結するのでは?というのが私の考えです。(世界的に見れば宗教、国家、民族、石油、経済等色々な問題があると思うが今回は触れません。)日本は戦争を放棄し一神教的な対立の外にいるのでそこまで視点を広げる必要はないと僕は考えます。

なんでイスラムテロで家族の問題??関係ないじゃん!!と思う方が大半だと思います。
以下でその論拠を示していきたいと思います。
まず初めに今回日本国内で議論の中心になったキーワードをいくつかピックアップしてみました。
以下の需要な四つのテーマに分けて進めていきたいと思います
①『自己責任論』
②『ジャーナリストの使命感』
③『安倍政権の対応』
④『命の重み』



まずは①『自己責任論』から
あえて説明の必要がないと思いますが、周囲の声に耳を貸さずに自分で危険な地域に入ったのだから自分が悪い、自分の責任である。という考え方です。後藤さん本人も生前に自己責任であると発言されていましたね。
その急先鋒がデヴィ夫人ではないでしょうか?すでにご覧になられた方も多いと思います。
デヴィ夫人のブログ
後藤さんに自決を促すという一見過激な内容です。皆さんもどうお感じになったでしょうか??
自己責任を大切にされたいる方はその通りだなあと思うと思いますし、よくぞ言ってくれたデヴィ夫人と思うでしょう。
逆に人の命を何だと思っているんだ!とか罪もない後藤さんに対してあまりに配慮がなさすぎるとか過激であるとか。
まさに意見が真っ二つといった感じです。どちらも間違っていないと思います。

ここで僕が注目したいのは「私が 彼の母親だったら そう 言います。」という部分なのです。つまりデヴィ夫人は後藤さんにブログを通じて自殺を促したわけではなく、もし私が彼の母親で自分の息子が同じ状況になった時に自決をしなさいというであろうという仮定の話をしたまでなのです。
ここを勘違いしてはいけません。
そしてこのデヴィ夫人の発言の真意は身内の恥に対する意識だと思います。
これは極めて日本人的な意見であり、我々日本人が古くから大切にしてきた「恥」や「世間」というものに対しての意識だと思います。つまり、「うちの息子が世間に対して迷惑をかけたことへの恥」
日本人は本来こういったものを大切に生きてきたのだと思います。だからこそ一見過激なデヴィ夫人のブログに一定の賛同が得られたのではないでしょうか?
自己責任論争の裏には「恥」「世間」といった古い考え方と、戦後急速に取り入れられてきた「基本的人権」「生命権」といった新しい価値観がぶつかり合っているのではないでしょうか?恥の文化と基本的人権。皆さんはどちらが尊重されるべきだと思いますか?

ではお前の意見は?というと僕は比較的デヴィ夫人の考え方に近いです。考え方古いので。
僕がもし後藤さんの父の立場だとしたらやはり同じことを言うと思います。もし自分の息子が同じ状況に追い込まれ、
テロリストに殺害されたとしても、馬鹿な息子が世間様にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。というと思います。
日本人のその類の発言は愛情の欠如ではないと思っています。


次に②『ジャーナリストの使命』である。
後藤さん殺害後、テレビで多く見られるのは美談を中心にした後藤さんへの称賛が多くを占めています。後藤さんは素晴らしいジャーナリストで紛争地の子供の貧困を伝える人格者だった。それと同時に一部ネットには後藤さんバッシングも見受けられました。僕はこの両方とも正しい態度ではないと思っています。
もちろんよりタチが悪いのがバッシングのほうです。どうな理由があったとしても死人に鞭を打つ必要はありません。
ただ、過度に美化して英雄化すべきでもないと思っています。二人の故人に対して、心から哀悼の意をしめす。
それ以上でもそれ以下でもないと思っています。

なぜか?
こういう人たちが増えたら大変だからです。
皆さんに問いかけます。後藤さんを英雄化することで、今後こう考える人がいてもおかしくないとは思いませんか?
「一度きりの人生だ。日本にいてもパッとしないし、危険な紛争地へ行ってジャーナリストになって一発花火打ち上げてやろう。死んだって俺は英雄になれるんだ」新潟の方がこう考えたかはわかりませんが、
皮肉にもISISの為に自爆テロしたら緑園(イスラムの楽園)に行ける。という自爆テロリストの心境と一緒ですね。

ジャーナリストとしての使命。人間の知る権利を担保するため自ら危険を冒して戦地に入って現状を伝える。
とても尊い行為だと思います。ただ、崇高なジャーナリズム精神の為なら何をしてもいい、どこへ行ってもいいというと、
ちょっと違うと思います。
僕は状況に応じてジャーナリズムは一定の制限をされるべきであると考えます。
だからこそ日本政府は今回旅券返納という措置をとったのだと思います。


どうしてもジャーナリズムに殉じたければ方法がないわけではないと思う。
日本国籍を捨てたらいかがでしょうか?
猫ひろしは日本人ではなくカンボジア人です。
なぜか?マラソンでオリンピックにでたいから。
今日国籍でさえ金で買えるだろう。
帰化すれば日本政府に保護責任はない。
そこまでやったらプロだと思います。
ジャーナリズムと自分の国籍を天秤にかけたときどう思うのだろう?
新潟在住のフリーカメラマンに聞いてみたいものだ。


ここまで書いて煮詰まりました。
二回に分けてアップしたいと思います
読んでくれてありがとうございます。
次回に続く
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